2015年6月27日土曜日

働くということ。保育園問題と、かごぶつけおばさん。

何のために働くのか
もちろんお金を稼ぐためだが、それだけではない。
生き方や人生哲学にも通じることがある。

母は5児を育て上げ、子どもたちの手がかからなくなった頃は、一人で電車にのって都内なんて出られない人になっていた。そこから、一念発起、資格を取り、再就職を目指すも、その道は非常に困難だった。最初は、パソコンも使えず、入力にも時間がかかり、全く仕事が進まず同僚に嫌みを言われたり、本人もやる気を失ったりしていて、端から見ていても、どうしたもんか状態。そんな必死の母親に、ずっと年がら年中反抗期だった私は、「お母さんみたいになりたくない」などと、信じられない暴言を吐いたりしていた。(タイムマシンがあったら怒りにいってやりたいw)

そんな母が、たった一人育てるだけでもう仕事をやめようかな、、と私がしょげているときに、「子どもは気づくとすぐ手を離れる。仕事は手の中に残る。かじりついてでも続けなさい」と私に諭したときほど、説得力があったことは言うまでもない。

昨今、所沢市の保育園の問題があるが、
訴えたお母さんの涙ばかりフィーチャーされていて、本質があまり見えてこない報道が多い気がする。第二子、第三子が産まれたお母さんたちが、上の子を保育園に預けている場合、その子が2歳以下だと、一旦育休中は退園させて、他の待機児童にまわすというものだ。
まず、保育園に関して。だいたい産休、育休なんて、長くとれるのは大手企業さんのしっかりした優遇があるところで、たいていの中小企業や自営の方々はほとんどと言っていいほど、長くて1年くらいが限度。しかし、どこの保育園も1歳から入れるところはほぼ皆無。なのでみんな可愛い時期を涙をのんで0歳から預ける。そうすることで、いつでも仕事復帰できるように備えるのだ。
たいていは無認可保育園に預け、そこで点数がかせげると晴れて認可保育園にゆける。近くがあいてなければ、遠くの保育園に。毎朝毎夕遠くの保育園に迎えにゆくのは骨が折れる。けれど、そうでもしなければ仕事復帰できない。

保育料も馬鹿にならない。稼ぎに応じて、とあるが、それなりにかかる。夫婦共働きの場合、合算した源泉徴収額に対しての保育料なので、かなり高額になる。よく聞く話だとだいたい妻側の給料から支払われることが多く、稼ぎの半分近くを保育料に支払うことにもなりかねない。それでも、辞めてしまうとその後復帰できなくなるどころか、再就職すらままならない現状、そして夫の仕事もいつまであるかわからない昨今の景気、子どものための塾や習い事、そんなたくさんの未来を考えると、仕事にかじりつかざるを得ない状態を、いったいどれだけの人が理解しているんだろうか。

いろんなお母さんがいていいじゃない。働くお母さんでもいいじゃない。
少なくとも私は、いつか子どもたちがかっこいいな、と思える未来を作るために働きたいと思っている。

話は変わるが、先日風邪の娘は保育園に行けず、もれなく風邪をうつされた私は、長期出張中の夫に頼れず、二人でしばらくお家に引きこもり、食べ物がつきてしまったので、やむなく砕けそうな腰を奮い立たし、ぐったりした娘をベビーカーに乗せ、行きたくもないスーパーに向かった。
野菜を選んでいると、かごをもった40代後半の茶髪の女の人が、明らかにかごを娘の頭にぶつけにかかっている。さすがにこちらも驚いて、「すみません、ぶつけないでください。」と言ったところ、その人は、なんと
「こんなとこにそんなん(ベビーカー)で来るほうが悪いのよ!」と
がーん、、故意決定、、、
久しぶりにくらった悪意の塊に、ビックリしすぎて、風邪でもうろうとしながら、
「こんなん(ベビーカー)でしかこられないんだから仕方ないじゃないですか。。」
と弱気な言い返ししかできずにその場を離れた自分がいた。。

まず、正論なんだけど、人の頭にかごをぶつけていいはずは無くて。

怪我しなかったからよかったですけど、二人とも病人なんですけど、、

こんな人がいるんだな、、ほんとに。と痛感。

それで思ったことは、なんていうか、いろんな人がいるんですよ。世の中には。子どもや妊婦さん、老人や手足の不自由な方、精神的に不安定な方とか、外国の人、目の見えない人とか、、そのときに体調が悪い人とかもしかり。
みんながみんな、当たり前に字が読めて、走ったり歩いたり、ばりばり仕事したり、満員電車で押し合いへし合いできるわけではない。

いろんな人がいる。そんな人たちが寄り添ったり、なんとかできる世の中になるためには、この忙しすぎて相手を思いやる余裕のない人たちをまず最初になんとかしないといけないんじゃないかなあ。。
所沢のお母さんたちをつかまえて、「モンスターペアレント」呼ばわりしている人をネットで見かけましたが、あなたたちのほうが、よっぽどモンスターですよ、匿名で糾弾するなんてかごぶつけてきたおばさんとかわらん。
ちょっと最近気になったこと。でした。





2015年6月11日木曜日

ミレニアムのあの一夜


2000年。ミレニアムで沸き返るヨーロッパ。
当時美術予備校の浪人生だった私は、夏期講習のかわりにヨーロッパ旅行で本物を見てきたい、と親に嘆願、初の一人旅に出かけました。(今思うと許してくれた親に感謝ですね。)
ロンドンインからのローマアウト。
地続きの国を列車でガタゴト揺られながら、ロンドンではたくさんの工芸品にどっぷり浸かり、パリはルーブル、南仏にてゴッホの世界観に酔いしれ、オーストリアとドイツに少し立ち寄り、ミラノ、ベネチアビエンナーレ、フィレンツェで華やかな時間を過ごし、そして最後はローマ人の遺跡に感動する、という、初めての一人旅にしては具沢山な約1ヶ月ちょいだったと思います。

ベネチアのユースホステルで赤ワインを飲んでいたら、珍しい子連れの日本人の親子を発見、普段あまりわざわざ外国で日本の方に、と思っていたのですが、ついつい話しかけてしまいました。
外国人と赤ワインなんか飲んでるもんだから、しかも旅で日焼けしているもんだから、話しかけた瞬間、ぎょっとされ、「日系のイタリア人の方だと思ってた、、」と。
聞けば娘ちゃんは4歳、お母さんは看護師さん。夫と離婚して、その夫の連れ子だったその娘ちゃんと、思い切って旅に出た。。という。。。
話しているとものすごく腹の座ったお母さんと、とてもそのお母さんが大好きな4歳のかわいい女の子に、「あなたムーランみたいね。」となんかくすぐったくなるような(多分)褒め言葉に舞い上がり、次の日も一緒にベネチアの街を歩いた思い出があります。

母になり、夏になると、その子とお母さんを思い出します。血のつながりはなかったけれど、そんなの全く関係ない、とても素敵な親子さんだった。私が4歳の子ども連れで、ユースホステル点々と今できるかな、って思うと。やりたいけど、、、そこまで踏み切れるかとも思ったり。

今、その子はきっと16歳とか17歳。年頃の素敵なレディーになっているはず。
もし会えたらもう一度会ってみたいな。

あのベニスのホステルの外での、海から吹いてくるじっとりした夜風の中で、あなたムーランみたいね、と手をとられた4歳の彼女のまっすぐな目が、今も輝いていることを祈ってます。