2008年4月1日火曜日

History


DDR(Deutsche Demokratische Republik)・・・旧東ドイツ。

なんとなく社会主義、ソ連、第二次世界大戦、冷戦、、くらいの歴史的事実しか知らなかった自分にとって、リアルな話をじかに同年代の人に聞いた事、かなりの現実でした。
1990年にDDRが正式になくなり、それをさかいに世界が完全に変わったということ。それまでに生きてきた世界が完全に変わる経験、それはたとえその子が7歳だったとしても、忘れ難い経験のようでした。
それまでにDDRに存在するチョコレートは2、3種類しかなく、車も2、3種類から選ぶ。物は政府から供給される。住む土地も、いろんな職業が入り乱れて住むように均等に職業をわけて政府が指示。住むフラットも居住者の数に応じて数種類あり、 中身は全く一緒。どこの住まいに行ってもすべて同じ家具、調理器具、配置、なにからなにまで一緒。ひと月に政府から生活費を渡され、その中で家族がやりくりする。当然高い服は買えないので、政府が発行するファッションマガジンをみて、布を買ってきて手作り。グレーな街並みにはすべて同じ形と色の花壇。
完全に言論は統制され、住民が住民を見張る、隠れた見張り番が存在し、家族にさえそれを告げずに常に誰か危険思想の人がいないか見張るシステム。
結婚は早く、子供を産んで育てることが素敵な一家の理想像とされ、女性は早くに子供を出産。
供給された洗剤で家をきれいにするため、DDR独特のにおいまであったそうな。幼稚園も常にその匂いがしていたらしく。どこにいっても同じにおい、同じ車、同じ服、同じ景色、同じ考え、完全にコントロールされた生活・・・
旧東ドイツが解体されてからの世界の変わり具合は、グレーな生活が突然色をもって回り出したようなそんな感じらしいです。それまで2、3種類しかなかったチョコレート、突然市場にチョコレート屋さんが軒を並べ、色とりどりの甘いお菓子に心を躍らせ、西ドイツ圏から入ってくる雑誌の女の人の洋服の大胆さに驚き、女性の生き方すら違って、すべてがカルチャーショックだったそんな生の記憶は本当にリアルでした。関西のジャリンコだった自分がつくば研究学園都市に引っ越した時ですらそうとうカルチャーショックだったのに…そんなに世界が突然変わることは想像を絶します。

また、別の話で、ドイツ人の友達Aがアメリカに留学した際、アメリカ人の友達のユダヤ人の話になり、そのドイツ人のAは、ユダヤ人の友達と触れ合った経験がなく、それをアメリカ人に非常に驚かれ、「あなたはドイツ人だものね」と言われたとのこと。それについて、Aは非常に戸惑ったらしく。自分たちの過去を突き付けられた、そんな感覚だったそうです。
やはり、ここの国ではいまだにユダヤ人ということを隠して生きている人がたくさんいて、歴史が、信じられない事実があります。実際私もユダヤ人に、ドイツで会ったことがありません。ただドイツでは、そうした過去の歴史教育はかなりしっかり行ってるそうで、みんなとてもよく知っています。それは決して自分を卑下することでも、かといって同情をすることでもなく、当たり前の事実として、二度と繰り返さないための教育。どこかの国とは大違いだ。。

歴史、日本でいう日本史、世界史、いつもどこか遠いよその土地の出来事で、ヨーロッパ史なんて込み入りすぎてて全然うろ覚え、、ただここにきて自分の無知さを思い知りました。大航海時代は、胡椒と羅針盤と・・ってただ丸暗記していたけど、胡椒がそんなに一大輸入品だったなんて今現実に置き換えてみると、ものすごいリアルに感じたりして。肉に胡椒…防腐、消臭、調味。最初に食べたヨーロッパ人は目から鱗だったんだろうな。長持ち!そしてうまい!!!!みたいな。

そうして世界をみていくと、かならず何か理由が、出来事が、すべてつながって今の現実がある。
それは全然遠い昔の話ではなく、今ここに自分がいる理由。あらためて思い知らされました。