2008年1月20日日曜日

異常気象


アメリカインディアナ州は、1週間おきマイナス10度から20度へ、そしてまたマイナス10度へと変化したそうな。

先週くらいまでマイナス1度が最高気温だったドイツ、ハレは、今日は11度です。
スペインは年末マイナスいくかいかないかくらい寒かったのが、年明けは18度だったらしく。

学校が始まり、世界に散っていた友達たちからの情報、何かがおかしいと肌で感じるには十分でした。
かといって、どうすりゃいいかってゴミを分別するとか、ビニールバックもらわない、とか電気こまめに消す、無駄にものを買わない。必要なものだけ買う。とかそれくらいしか今のところできない。
これからの時代に、子供を残していきたいかっていえば悩むくらいちょっと深刻で。南極の氷は全部溶けきることはないだろうという研究発表が最近でたみたいですけど、だから?って感じもするし。最近楽観的な意見がやたらとメディアにのっかってますけど、オーストラリアも捕鯨を禁止禁止と異国文化に異議を唱える前に、もっと国をあげて取り組まなきゃいけない問題があると思うんですけど。

everyday


旅行から帰ってきたあとは、ここが第二の故郷になってるってこと
そして訪れる強烈な孤独感は友達が気を使って持ってきてくれた夜景を見ながらの一本のウォッカによってほぐされ、たくさんの人からの手助けによって完璧に淘汰されました。

しょせん人間一人だってことは頭で理解しても、中々処理できないこともあって
たったひとりの人の何気ない言葉によってすっきりできたりすることもあって
そんなくだらない行ったり来たりの中に答えが実はあったりなかったり
もやもやも時にはすばらしいお土産をくれたりするんだな、とすごく今は幸せな気分で皆さんありがとう。

2008年1月18日金曜日

チュニジア酒事情


チュニジア。ソフトイスラムの国。
酒は、基本飲んでもいい国ですが、探せど探せど見つからず。
見つけたビールバーは、のぞいた瞬間、ボディーガードのおじさんが、「What's happen?!」要するに、カフェやバーなどの社交場に女の子が一人で来ることなど皆無な土地柄、でも絶対に飲みたい!と意志を固くした私は酒探しの旅に出るのでした。
2000円から3000円だすような、高級レストランには酒やワインがありますが、なにせツーリスト用な感覚のレストラン。一人で行くのはちょっと…
そこで2,3軒はしごしてようやく見つけたのは、首都チュニスでの出来事でした。
デパ地下のような場所の奥の奥、20人くらいのおじさんがまるで悪いことをしてるかのように列をなしていた一角にはゆめにまでみたアルコール天国。そのオジサン行列の最後尾に並んだのは言うまでもなくわたくし。並んだ瞬間にオジサン会議が始まり、その中の多分ちょっと英語が話せるであろうおじさんは、私に最前列に並ぶように指示。
どうやら、その列はほとんどレストラン経営などの業者さんらしく、かわいそうな酒中毒(そんなことないけど!)のツーリスト女性に先を譲ってくれるらしい。そこでありがたくチュニジアレッドワイン「マゴーン」とチュニジアビールをゲットできました。20人ごぼうぬき。笑
しばらく酒断ちしていた私には思いもよらぬ幸せハプニング!チュニジアオジサンたち、ありがとう。
ワインあけるのすごく苦労したけど、幸せでした。
チュニジアはやはり酒を手に入れるのが難しい国。ドイツの酒天国とは違うありがたさが。。感激ひとしおでございました。。

2008年1月17日木曜日

チュニジア2


チュニジアは今回
モナスティールin→スース→トズール→ドゥーズ→マトマタ→ジェルバ島→チュニス→カルタゴ+シディブサイド→モナスティールout を、8日間で回りました。
モナスティール空港からスースには1時間に2本くらいの電車で30分くらい。
スースからトズールまでは1日に1本の夜行電車。みんな寝てました。私は初日だったのでドキドキしてあまり寝れなかったけど。
トズールがかなり私的にはヒット。レンガを手前、奥に並べ分けてそこいらじゅうの建物に描かれる幾何学文様が美しかった。。しかも明け方6時に着いたときには砂っぽい真っ暗な街が、夜明けとともに太陽の光によってオアシスの水分が蒸発たのであろう、街全体が突然潤う感じで、その雰囲気がオアシスと人と砂漠とを感じさせるには充分でした。そこから砂漠への交通手段。。ルアージュ。前述のルアージュ、チュニジアへ行ったらぜひ体験しないと損です。おもしろいです。地球の歩き方の地図とは全然違う場所のルアージュステーションを探し当て、目指すはサハラ砂漠の入口、ドゥーズ。まあ、どこもかしこも観光地化されてますけど。らくだとかも待ち構えてますけど。それでも、サハラ砂漠!人生で一番最初に覚えた砂漠の名前がサハラ砂漠。。だと思う。砂はさらさらでした。細かすぎる。。甲子園よろしく一応持って帰ってきたけど。時間があれば、砂漠宿泊ラクダツアーやってもよかったけど、時間の都合上ツアーはパスで、がしかしラクダにはしっかり乗ってみました。私の白ラクダは暴れん坊で怖かった。どうやらみんなヒトコブラクダだって。
ドゥーズを後にした我々が向かった先はスターウォーズファンならみんな訪れるであろうマトマタへ。
このマトマタ、惑星タトゥインのロケ地。チュニジアの他の地域と違い、写真に写ってるような小山がいっぱい連なってるこの地域は風も強く、自然が厳しいようで、古くからベルベル人が横穴を小山に掘って、住居にしてるらしいです。今は観光的な感じがぬぐえないけれど、まだまだ素朴で、なかなかよかった。スターウォーズのロケ地は今はドミトリー式の宿泊施設になっていて、冬のシーズンオフの宿泊客はうちらを含め4人でした。スターウォーズバーと名付けられた小さなしょぼいバーは水が通常の3倍という値段でシャイセな感じでしたが、雰囲気はまるでおとぎ話のようでなかなか楽しめました。
その後リゾートなジェルバ島でまったりするもその後一人旅になり、女一人になった瞬間から、ナンパの雨あられ…
ジェルバからチュニスには超小さい墜落するんじゃないかくらいの飛行機で1時間、ジェルバのチュニスエアーで飛行機とって到着した首都チュニスはヨーロッパの景色の中にチュニジア人がいるっていう感じでした。チュニス滞在中に、念願のカルタゴ!ローマ人がはるか昔に覇権を握ったカルタゴ!感無量。天気もよくて、一人でニコニコしながらローマ人の生活を想像して楽しみました。シディブサイドもよかったけど、断然カルタゴ。
砂漠、海、遺跡、とかいつまんでチュニジア巡って感じたのは、まったく異文化ってことと、酒飲むの超むずかしいじゃないか!ということ
また酒かいって思った?大切ですよ~チュニジア酒談議はまた次の機会に。

2008年1月14日月曜日

チュニジア


チュニジア。北アフリカ。北は地中海、南はサハラ砂漠を望み、西はアルジェリア、東はリビア、と、テロ地域に挟まれた比較的ソフトなイスラム教の国。フランスに統治されていた過去から、フランス語とアラビア語がみんな話せて、英語は驚くほど通じません。おじいさんまでフランス語が堪能という、不思議な感じ。物価は日本の約4分の1程度な感覚。主にフランス人、ドイツ人のバカンスの場所として観光地化されてるところは、全然ヨーロッパな感じですが、ほんとに一部。チュニジアはまったくもってイスラム!なとこでした。
ヨーロッパからチュニジアへは、Monastir モナスティール空港、Djerba ジェルバ空港にやたらとエアーフランスや、ルフトハンザが飛んでるようで。今回はドイツが誇る(?)Air berlinを使って近所のHalle Lipzig 空港からニュルンベルグ乗り換えのモナスティールイン。何度か、ここはドイツ老人慰安旅行か?!と錯覚をおこし、こんなにも裕福なドイツ人たちが旅行してるとは…と驚きました。しかも、なぜか飛行機が着陸すると必ず拍手喝采。他国のツーリストに聞いても、「ドイツ人だからじゃない?」うん。私もそう思ったよ。

チュニジア、ちゃんと鉄道もバスもありました。ほんと、行く前の不安が嘘のように、意外としっかり旅行しやすくできているというか。日本とはそりゃ比べ物にならないですが、1時間に大体1~2本は電車もあったし(長距離は1日1本とかだけど)、南の方の砂漠に関しては、100キロくらいの都市間をルアージュとよばれる9人のりくらいのバンが往復していて、乗合形式でかなり安く人を運んでいました。最初は相当緊張しまくりで、どきどきしてましたが、そのうち慣れて景色も雰囲気も楽しめるようになり。
本当に絵のような砂漠の中に1本どこまでもまっすぐな道が走り、一緒にのってるおじさんたちは、思いっきり布を巻いたスターウォーズ的な衣装(普段着)で、ルアージュの運転手はイスラムポップみたいな音楽を爆音でかける。自分がそこにいることがどこまでも現実感がなく。着いた先は砂の吹き荒れる街。写真を見返しても不思議な気分がいまだに拭えません。いやいや。つづく

2008年1月13日日曜日

テロ


1月1日朝の6時のチュニジア行き飛行機に間に合うためには、朝の4時に始発に乗らねば空港にはつけず、友人に、絶対危ないので、送っていくといわれました。
初の年越し海外。
働かずに年越しを迎えるのも約5年ぶり。ヨーロッパの年越しをなめてました。
年末約三日のみ、店頭に並びまくる花火の尋常ならぬ量に、うすうすと感づいてはいたものの、31日の22時ぐらいから続々とあちらこちらでピューピューとロケット花火の音。
24時、新年あけましておめでとう!の瞬間から、こんなにハレに老若男女が住んでたのかっていうくらい人が路上にあふれ、老いも若きもねずみ花火や打ち上げ花火、爆竹を鳴らし、教会の鐘は今にも壊れそうなくらいリーンゴーンリーンゴーンと鳴り響き、面白がってビール片手にうろついてみた私は、初めて花火を怖いと思いました。それは、テロさながらな無法地帯… ごみ箱が燃え、血の痕のように広場にまき散らされた火薬のかす、ドイツ人のおう吐物。。。国が花火を使用するのを年1回に制限する理由がわかります。お祭り騒ぎとはまさしくこのこと。そんな中、バックパックを担いでもくもくと駅を目指す私 目的とするチュニジアはいかがなものか… つづく

2008年1月11日金曜日

夜になると

ネットがつながりません。
なぜ。
ので、いろいろと連絡できません。
うぐ、、

2008年1月9日水曜日

新年あけまして チュニジア


遅ればせながら、あけまして、おめでとうございます!

新年早々、チュニジア旅行へ行ってまいりまして、つい今しがた帰宅しました。

サハラ砂漠でラクダにのってみたりとかしました。
スパイシーなチュニジア料理と、青い空と、アフリカ大陸と
つきぬける強い日差しと吹きすさぶ砂と
白い肌の建物と地中海と


色々ありました。

楽しかったです。

チュニジア旅行記は近いうちに
そしてみなさんへの新年のごあいさつも。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。