2007年11月17日土曜日

手と作業について考える


去年の今頃、母が突然青ざめ、私の手をとり、嘆いた。「女の子がこんな汚い手・・・」それもそのはず、ムトーハップ(作品の最終仕上げの色上げのために、銅や銀を硫化させるための濃い温泉みたいの)を1日中した後の私の手は、爪や細かい傷が茶色にそまり、おっさんみたいな手になっていた。

きれいな手でいたい、とはあまり思わない。マニキュアに命をかけて、爪に描きまくってた時代もあったが、女を捨てたとかではなく、しわしわの手も、小さな手も、指が短くても、妙にでかすぎても、きれいでも、きたなくても、単純にそれが素敵だ、と思うから。手はその人個人を知るのに、かなりてっとりばやいポイントで、私はそこにとても興味がある。

私の場合、手は、いかに使いやすいか、がポイント。もともと器用だと思っていた自分は、周りに器用な人がわんさかいる美術業界で、器用というのは幻想だったと思い知らされ、そこをいかに補てんしていくかがキーワードになった。器用な人というのは、経験はもとより、利き腕じゃない方の腕の使い方がなにより上手だと思う。右利きの人の左腕。器用な人の、左腕のホールド感や、右手を補助する使い方は本当に感心する。器用な人の作業を見るのは本当に至福。感心してばっかり。

指。ずっと小さいものを持ち続けてヤスリをかけたりすると、指の先が硬くなってきて、ものすごいホールド感を与えてくれる。ちょっとした手の広げ具合、握り具合で、ものと自分とのバランスがとれる。
手首。時計をしたまま作業してると、肩がこる。自由に動かないことが、こんなに自分の作業の効率をさげるのかと驚く。手のひらは、金槌を1週間も降り続ければ、豆になるところがかたくなって、ちょうどいい堅さで作業を助けてくれる。
細かい仕事において、爪の存在も忘れられない。爪は、時には細かい金属のノコ刃から指を守り、時には彫りたがねの調子を見るために傷をつけられたり、ガイドになって爪の先がぎざぎざになったり、細かい物と物を曲げたりするのに使われる。

なんで、こんなことを改めて振り返ったかというと、
スイス人の助手さんが、糸のこの使い方についてレクチャーをしているのを盗み見してたら、その人が、足を組んでやる糸のこなんて考えられない。姿勢が悪いのもダメ。体全体で緊張感をもって、切るべき道筋をちゃんとイメージしながら肩から腕を動かすべし。的な内容の話と実演をしていて、そのたち振る舞いと緊張感に感動したのです。それは、清らかで、きれいな時間でした。

実は、作業は、作業ではなく、手や脳みそとのコミュニケーションで、実はすごい緊張感をもってする仕事なんだと、改めて実感したというのが事実で。それをなんだか遠いことのように霞がかかって、うすらぼんやりとしか認識していなかったというのも事実で。
自分がいかに慣れで作業を進めていたのかが身にしみて、本当にショックでした。
こんな当たり前の事を今更思い起こすというか、自分が惰性で作業していた事に反省しました。

初心に帰る、よりかは、初心者以下という事。。。。



爪の先まで神経とがらせて、仕事してますか??