2007年10月31日水曜日

どこだってエイリアン


幼いころから日本に生まれ育ち日本語を話せど、引っ越すたびに、新しい人に出会うたびに、すべて振り出しに戻って自分の生い立ちや自分が日本語を話せることを説明しなければならなかった過去は私にとって幸か不幸かいまだにはかりかねる。

よく海外に暮らす日本人にしょせん自分たちはここじゃ外国人だから。という発言を聞く。手続き、ビザに関しても大変だよ。不便だよ。と。

私にとって日常だった不便さは、自分で選択した今の状況において、自分で取捨選択したという時点でかなり不便ではなくなっている。甘んじて自ら受ける不便さは不便ではない。

私の故郷はどこかといわれて、日本のどこかの場所を思ってもいまいちピンと来ないし、もともとはっきりとわからない上に、あらためて自分の居所がすごく不安定なことに気づいたりして、結局私が大事に思っている人たちの顔しか私の中には残らず、そこがようやく故郷と呼べるような形のない故郷だということに海外に住んでようやく理解できました。自分がどこから生まれてどこにいるのか、それを考えるのは当たり前、そこから自分が理解してどうやって歩いていくか、そういうことをみんなで大いに考えていきたく思います。