2007年11月1日木曜日

ほんやくこんにゃく



作品の説明をするとき、こうしたいと伝えたいとき、友達とのむとき、ほんやくこんにゃくがあればいいな~とよく思う。相手の考えてること、自分の微妙なニュアンス、全部通じてざっくばらんに話せればいいのに。と。

多分今の私は、

ワターシ ココニ イキーマシータア

ドコーセンタッキーハ デースカー

的な人!きゃあ~

よく、どこにいっても英語が通じるから、挨拶も全部英語で通そうとする人がいます。でもなんだかそれじゃ味気なく、おしゃべりな私はやっぱその人たちのネイティブで触れ合いたかったりして。

で、そこでほんやくこんにゃくがあったら・・・って思うんですが、、、なんか聞きたくないことも、わかりたくないことも、すべてわかっちゃうような気がして、やっぱほんやくこんにゃくいらないや~って思うんです。言葉がいくら通じてもわかりあえない人(絶対周りにそういう人いる)だっていて、言葉が全然通じなくても、なんだかタイミングが妙にあって意気投合する人(よく飲む人結構そう 笑)もいる。コミュニケーションてなかなかうまく言葉や文章で表現できないお互いの間とか、呼吸とか、そのときの気分とか、そういうふとしたところに複雑かつ単純なモジャモジャのなかでうまく道をつくってくんだな。と強く思うわけです。言葉が通じないから、一生懸命単語を並べて、その並んだ単語を聞いたり、その人自身の今までの長い時間を想像して、言葉が通じないからこそお互いの交流は深まることもあるわけで。ダイレクト!な、ライブ!な感じが、会話において非常に重要だとおもうわけですね。
まあ、とはいっても、その意気投合した人ともっとしゃべりたいので、私は一つ一つ単語を脳みそに詰め込んで、交流を深めるわけです。 最も、欲張りなのでやっぱりいきなりしゃべれるようになんないかな~とほんやくこんにゃくを憂うことも多々あったりして。どっちやねん。