2007年10月31日水曜日

どこだってエイリアン


幼いころから日本に生まれ育ち日本語を話せど、引っ越すたびに、新しい人に出会うたびに、すべて振り出しに戻って自分の生い立ちや自分が日本語を話せることを説明しなければならなかった過去は私にとって幸か不幸かいまだにはかりかねる。

よく海外に暮らす日本人にしょせん自分たちはここじゃ外国人だから。という発言を聞く。手続き、ビザに関しても大変だよ。不便だよ。と。

私にとって日常だった不便さは、自分で選択した今の状況において、自分で取捨選択したという時点でかなり不便ではなくなっている。甘んじて自ら受ける不便さは不便ではない。

私の故郷はどこかといわれて、日本のどこかの場所を思ってもいまいちピンと来ないし、もともとはっきりとわからない上に、あらためて自分の居所がすごく不安定なことに気づいたりして、結局私が大事に思っている人たちの顔しか私の中には残らず、そこがようやく故郷と呼べるような形のない故郷だということに海外に住んでようやく理解できました。自分がどこから生まれてどこにいるのか、それを考えるのは当たり前、そこから自分が理解してどうやって歩いていくか、そういうことをみんなで大いに考えていきたく思います。

長い夜

松山千春、よくみるカラオケのタイトルじゃないぐらい、長い長い夜が訪れました。
サマータイム(ゾマーツアイト)が終わり、1時間遅れの時刻になったとたん、夜が足早に迫ってきます。
この夕焼けこやけが過ぎた感じ、早く家に帰らなくちゃ!って感じが、なんと3時半です。おやつ食べてる時間です。ハレ住民いわく、今日は特別夜が早いとのこと、ほんとかい、単なる主観的コメントな気もしつつ、妙な説得力を感じてそういうことにしておく。 同居人もやたら寝すぎて体調がすぐれないらしく、なれない太陽光線の少なさに、異国人はとまどってばかりです。
ここ2・3日、急に周りの言ってることがするする頭に入ってくるようになったりして、俗に言う、3か月マジック(海外において3か月たったころに突然言語が理解できるようになるマジック!)が私にも起こってくれるよう祈ってます。
明日は休み。ドイツは連邦共和国、いろんな自治体が集まって国になってる感じなので、場所によって休日が違うんですね。なんで、ザーレ州は明日休み。でも学校は作業可なので、明日も作業しにいくです。うふふ
どんだけ夜が近づいても、朝が遅かろうとも、楽しい毎日はまだまだ続きそうです。

2007年10月30日火曜日

ビールでボーリング


並べてみただけなんですけど。
1ピン、halleroderは、地元のおっさんに人気のビールで、よくいろんなところでお勧めされるので、先頭にしてみました。
最近どのビールがどう、とか書きとめるのすら億劫になるくらいビールの種類が多いことに気づき、写真をとることのみで満足している自分がいます。
この間オランダに行ったとき、ビール安いですよ、と行ってスーパーで見たビールはドイツビールよりも一回り小さく、そして同じ値段かそれ以上、というドイツ、ビアヘブンを実感させる結果となりました。
この子たちは一本500ml、大抵50セント前後で私を出迎えてくれるのです。ああ、ビアヘブン。

2007年10月29日月曜日

夜には


サマータイムも終わり、今日は1時間得した感じの日です。日本との時差は8時間、夜の時間が増えると家でもんもんと・・・・・と思いきや、そこはドイツの皆様パーティーピープル。週末にはそこかしこでパーティーが行われ、音楽はがんがん、パーティーのはしごをしながら酒を片手に皆さん一軒一軒自転車でまわるそうな。
お誕生日会に、マンションの屋上の物置で回るミラーボール、どこからともなく現れるDJ、12時すぎてだんだん人が増え、あっという間にヒトヒトヒト、、、
言葉も適度に音楽と体と脳をシャッフルしながら国境越えてる感じは中々いいものです。

2007年10月28日日曜日

侵略的外来種


近所を散歩中に発見、見たことない!と大はしゃぎしてたら、日本にもいるらしく。だいぶがっかり。要は第二次世界大戦の際の防寒用の毛皮にするために大量に飼育されていたのが、必要なくなって、侵略的外来種とのこと、捕獲、駆除対象らしいです。
最近強い種が弱い種を淘汰していくのはあらがえない真実なのではとよく思います。たとえそれが人為的であろうとなかろうと、実際来てしまったものは仕方なく、そこで弱い種が根絶やしにされるのはどうしようもないことなのでは。
確かに生態系をこわしてるかもしれないけれど、結局一番こわしてるのは人間なので、侵略的外来種は、どっちかっていうと自分たちだなあ。とぼんやり考えたりしてます。

2007年10月24日水曜日

Dutch Design!


Design Academy Eindhoven の卒展にはるばる鉄道で7時間、初オランダは英語の通じる久々の感動を与えてくれました。
ダッチデザインの聖地、Design Academy Eindhovenの卒業制作展、もう熱気むんむんの、そこら中で若いデザイナーの青田買い・・・作品はもちろんのこと、ポートフォリオや名刺にいたるまで、ぬかりのない見せ方に学ぶところが多くありました。実際BAの生徒たちは1年生の時からグラフィックデザイン、webデザインやら製本にいたるまで、自分をオーガナイズするためのノウハウをたたきこまれるようで、ポートフォリオというよりは、本屋に置いてあってもおかしくないイメージブックに仕上がっている人もいて、とても興味深く拝見しました。
しかも、日本に多く入ってきているいわゆるデザイナーズ、的な雑貨や家具もここの卒業生が多くかかわっているものばかりで、ここで生まれたものが世界にそのまま反映されている感覚は、日本ではなかなか味わえないものでした。思いっきりマーケティングに乗っかっていく感じ。
個人的には好きな作品といやな作品と、まあ色々ありましたが、今やEindhovenが工業デザインの中でスタイルを確立して、独自の路線でみせていくやり方、そしてそれで成功している今の現状に、非常に多くのことを考えさせられます。
Eindhovenの街自体は昔戦争で焼けて新しく、町のショップもとても洗練されているとは言い難い雰囲気でしたが、それに反してデザインウィーク、卒展、となんだか華やかな一面と街自体が呼応してなく思えました。家もとても天井が低く、ドイツのそれとは全然比べ物にならない感じで。そしていろいろ聞くと、Eindhovenの住宅事情は劣悪らしく、高い、狭い、遠い、みたいな状況で、下手したら東京の住宅よりも住みづらいようです。ただ、家賃が高くとも、物価が高くとも、住み続けることができる人間もいることは確かで、その貧富の差というか、不自然な間合いは最後までぬぐいさることはできませんでした。
しかもちょっと一見おしゃれそうに見えるカフェやショップ、実際にその空間に入ってみるとなんだかごちゃごちゃしていたり、余計なものが置いてあったり。ひとつひとつはすごく素敵なデザインのものがおいてあっても、足し算ばかりの空間で、引き算がないかんじというか。なんていうか、空間にたいする意識の払い方が雑な印象でした。
建物の建て方も、建て増ししていくような、ここに、これ?!みたいな組み合わせの意匠だったり。
家が狭いとか、少ないとか、そんなことに関係してるのかもしれない。
なのにオランダ人やたらと背が高いんでね。ずっと肩すかしをくらってるような、謎が残る旅でした。アムステルダム、ユトレヒトらへんも行けたら謎が解明されるんでしょうか・・・・

2007年10月20日土曜日

バイト



ドイツに来て、初のお仕事。

1ヶ月も働いてないとなんだか仕事にもやる気がでます。

なんと、ハレで行われる日本の漫画についての展覧会で、私のコメントがバックミュージックになることになりました!初声優です。

どうやら、友達と日本語でその展覧会について見ながら話し合っている声を収録し、実際の展覧会の会期中に延々流し続ける、BGM的な感じになるようです。

ドラゴンボールあり、クランプあり、ヒカルの碁あり、AKIRAあり、フルーツバスケットあり。今まで聞きかじった無駄な知識がここで発揮されるとは。1マンガファンとしてはもう少し他分野にわたってしっかりジャパニメーションを広めてほしかったのですが、まあ日曜日からなのでもう時すでに遅し。

辛口のコメントも日本語なのでハレでは通じないでしょうとのこと、オッケーで通ってしまいました。

ドイツではAKIRAが超ポピュラーな漫画、というか火付け役だったようで、大々的にコーナーを飾っていました。特筆すべきは、北斎などの浮世絵を漫画とつなげていて、江戸時代の国定なんとかという人が書いた源氏物語を展示したかたわらに、あさきゆめみしが並び、とそこまではよかったんだが、 GENJI というPS2のゲームが展示してあって源氏物語と紹介されてしまっていた。ニアミス?!(近くもないか) と笑いがとまらなくなり。

その他にもドイツで売れっ子少女漫画家(ドイツ人)の生原稿とかもあり、個人的にはドイツの人が日本をどうみてるのかがちょっと興味深く拝見させていただきました。結局うちらの話はコミケ、みつばちマーヤ、売れない漫画家、金魚、鳥獣戯画、食玩、ゲーム、ジャンプ、初音ミク・・・・と花が咲き、約1時間しゃべくりました。 途中から手塚治虫大先生とか、石ノ森 章太郎大先生とか、昭和な発言にまみれてましたが、まあ昭和生まれなのでよしとします。



2007年10月19日金曜日

KE☆I☆TA☆I!


ドイツに足を踏み入れてちょうど一か月、time is too fast 最近よく私の周りの人がつぶやいてます。
んで、記念に携帯を買ってみました。
というのも、携帯がないと海外での独り身、家の電話もなく相当不便でしたので、もう買わないとちょっと生活不便すぎたんですね。
ドイツ語頑張って買えたこともなんだか良い記念になりました。
現地の人に聞いたところ、ドイチェテレコム(日本でいうドコモ)やvodafoneはかなり高くてむかつくらしいので、結構すすめられたO2ってとこの携帯、Sony Ericssonにしました。本体29ユーロ。タダ電話5ユーロ分つき。1分あたり0.25セント。高い。PHSの安さを思い出しげんなり。もっと安いプリペイド携帯もほかの店で見かけたけれど、O2のお兄さんのやさしさについつい嬉しくなり、もうここでいいや!ってなっちゃいました。しかも、ついでに20ユーロのチャージまでお願いしたら笑顔でやってくれました。ただドイツ以外の国で使うにはSIMカードを購入しないといけないらしく、100ユーロ払って2年間のみの使用的な話。ネットでみんなが話してるSIMロックかかってない携帯ってなんぞや とりあえず、ドイツ国内で使うのがほとんどだろうと腹をくくり決定。
にしてもソニーエリクソン懐しいなあ。そういやAUのときに使ってたソニーエリクソンが人生で一番使いやすい携帯でした。その後徐々にPHSにシフトして、、世の中の流れとは逆行して、機種がダメダメ、さんざんたたかれたけど、今日買った携帯よりははるかに高機種ですね。あっぱれ日本。まあ、ドイツの最新機種はかなりかっこいいですけどね。日本の方が底辺が高いと思います。
この機種、なんていうか、無駄のない機能。まあ、プリペイド携帯なんでそりゃそうか、ってかんじですが、昔のPHSを思い起こさせる簡素な造りに、なつかしみを覚えます。10分くらいいじって機能を網羅しました。ほんと、簡単にできてて使いやすい。
そんでもって、作りと外見がシンプルでかわよい。最近の日本の携帯は未来形だかなんだか、あんまりぐっと来るものがなく、妙に流線型だったりシンプルにしすぎてメカ感が弱くて収集心をくすぐられなかったんですが、こっちのメカはしっかりメカメカしてて、ちょっとわくわくします。デジカメとかも、いいデザインなんですよ。といってもサムスンだったりするんだけど。日本もお隣の国なんだからもすこしサムスン輸入すればいいのに。メカっぽくて良い。値段もよい。
電気屋さんが楽しくて仕方ありません。ただ日本の電器屋とは比べ物にならないですが。日本はすごい国だと本当に実感。
なにより、どんどん新しい機種に変わっていって、国民もそれを買い求めるのがすごい。ドイツ人の携帯みるとおどろきです。えっそれで電話できるの?!みたいな携帯結構普通。物持ちのよさといったら、日本とは天地の差があります。だってみんなものは捨てずに、誰かにあげたりもらったり。え、それごみじゃん!みたいのを喜んで拾って帰ってきたりします。国民性ってほんとにあるんだなあ。
そういや今日クラスの女の子がブロッコリーの茎を生でかじってたっけ。いくらなんでも生は・・・・・

2007年10月18日木曜日

ウォーリーを探せ レベル1


間違いなくこの獣は実をかじりながら木々を駆け回っていました。合成じゃありません。
聞くところによると、もう少し田舎には野生の ハリネズミ! がいるらしいです。
どんだけおとぎの国なんだか 
川には白鳥が群れ、
たくさんの植物がたわわに実をつけ、
風は枯葉をさらい、
煙突からは煙が出て、街並みをより一層味わい深いものにして 
こうして今日も一日が終わっていくのでした。。

2007年10月16日火曜日

偶然=必然

7年前、パリで宿泊したホステルに、最近友人になったトルコ人の女の子がつい先日宿泊したそうな。下がバーになっててモンマルトルの丘の下で黒人がたくさんすむ一角にある雰囲気のいいホステル。まだそこにあることにも嬉しく思い、そしてまた数あるホステルの中からたまたま同じとこに7年越しに泊まった同級生に出会えた事にもなんだか感動してしまった。
みえない糸で引っ張られているような、出会う人が必ずどこかでつながってしまうような、そんな出来事によく遭遇します。
今年はBurg(今の大学)のSchumuck(ジュエリー)科はまれにみるイベント続きの年らしく、ベルギー、ミュンヘン、フィレンツェ、と様々な国や都市での展覧会やワークショップ目白押しで、めったにできない体験をさせてもらえるようで、楽しみで仕方ありません。
とりあえずは明日からの語学学校。最近通じることに味をしめてへんてこなドイツ語しゃべりまくってるので、徹底的に補正しないと。

2007年10月14日日曜日

夕焼け時に


夜が日ごとに近くなっていく、夕暮れ時に、あの空の向こうには日本が!なんてなんだか不思議な望郷感覚が芽生えました。
10月半ば、もうすぐ日本を出てから1ヶ月、時間が矢のように早く過ぎて、あせりを覚えます。いつだって昔の自分は色あせて見えて、明日の自分に期待してもまた明日の自分もたいしたことない、そんなジレンマの中で何かものを残していくしかないのかもしれません。

2007年10月12日金曜日

遠い世界で


ドイツ銀行が大変なことになってるなんて知る由もなく。7月から9月のたった二ヶ月の間にアメリカの住宅ローンなどの、サブプライムローン関連で約3600億円の損失を計上したとのこと、きっとラジオで聞いてたんだけど、ドイツ語を理解してなかったんだろう。こんな風景の広がる学校で脳味噌までまったりしてしまっていたりして。気づいたらユーロが167円になっていました。
どうやってここを乗り越えるか。気にせず、円をユーロに換えるか、もう少しまってみるか。ユーロがもし崩壊したらこっちは楽になるけれど、ただでさえ低所得者の多いハレでこれ以上の不況がおとずれたら、という事を考えるだけで嫌な気持ちになります。お金や世界の動向はいつだって下々のものから一番遠いところで動くものなんだな、と感じます。金も銀も銅も値上がりして私たち金工作家たちを苦しめているだけじゃなく、このユーロ高の状況、ヨーロッパで金銀かおうとすると、日本の1.6倍という悲しい事実に、足がすくむ自分もいたりして。
とにかく、最近はなんであのとき、と後悔の日々。雨降って地固まる。だといいな。また今日もことわざで終わり。

2007年10月11日木曜日

ドイツ語

学校もはじまり。たくさんの新しい人に会う機会にめぐまれ、日本語、英語、ドイツ語、と脳味噌がなんだか沸騰しそうな日々になっています。
ハレに住む日本人の皆様にお会いしたり、クラスメートに会ったり、外国人留学生に会ったり。
おしゃべりな私はドイツ語が喋れないことにフラストレーションの塊となり、日々悶々としています。
あ、これきれいね。、これはどうするの?、どこいけばいいの?
聞いたところで返ってくる返事がわからず、また悶々と。
ドイツの彫金技法をきいたところで、専門的な言葉はなかなか英語ですらつたなく、頭を全部使う勢いで考えます。
ドイツ語は、本当に難しい言語だというのは、かなり諸外国の方々の間で一致するようで、英語とは時折共通点がみられますが、それでもやはり英語圏の人ですら難しい。というのが一般的。
たとえば、名詞は男性、女性、中性の三つ。複数になるとそれが入れ替わったり。動詞はたいてい二番目に来る。
私は 行く ここに 今日の朝。
今日の朝 行く 私は ここに。
的な語彙の入れ替わりは当たり前。ようは、全部聞き取れないと意味がわからない。
英語はしゃべれないことにしてとにかくドイツ語オンリーにした方がいいよ、とアドバイスされても、喋れないのは歯がゆく、英語でコミュニケーションをとりながら、とりあえず必死にインターネットのドイツ語放送を聞きながら眠る、みたいな謎の睡眠学習をしてみたり。
後悔先に立たず。
転ばぬ先の杖。
一か月前の私にいってやりたい